川口芝小の倉庫から見つかった戦争中の学校日誌を教材に

川口市芝の川口市立芝小学校(児童数375人)で1日に6年生68人を対象に、同校に残された貴重な「学校日誌」を基に戦争中の学校生活を学ぶ授業が開かれた。学校日誌の昭和19年10月16日の「全校イナゴ取り」の記述に、子供たちは「それほど食べ物がなく、苦しい生活を送っていた」と読み取った。

川口市文化財課学校連携担当による出前授業で、学校日誌の記述を抜粋した資料を教科書にして行われた。

昭和17年4月18日の「12時30分空襲警報発令午後3時52分解除」の記述に、坂本さんは「この空襲が日本が受けた初の本土空襲で、東京や川口でもかなり被害があった。学校では4時間も暗い穴の防空壕に避難していたことも分かる」と説明した。

空襲は隊長の名前から「デゥーリットル空襲」と呼ばれている。学校連携担当者はさらに空襲で12人が死亡した川口市弥平町の「日本ディーゼル工業」で後の日産ディーゼルの被害写真をスライドで映して解説をした。

日誌には「戦地に向かう教師を駅まで見送った」「みんなで麦踏みをした」「カエルやエビガニを取った」など、戦争中の学校の様子が書かれている。授業は、この記述を基に子供たちは当時の学校生活がどの様なものだったのかをイメージした。

生徒は「川口でも、この学校でも戦争が激しくなっていた」「先生まで戦争に行って、人も食料も不足していた」「空襲警報で4時間も防空壕に入っていたとか、とても苦しい学校生活だった、今の生活に感謝しないといけないと思った」と話した。

同校教諭は「今日学んだ歴史の事実を、これからの行き方を考えるために大事にしよう」と子供たちに呼びかけた。

学校日誌は2015年3月、同校の倉庫整理の過程で見つかった。昭和17年から22年度までの6冊が段ボールに収められていた。学校近くの郷土史家が内容を精読し、戦時下の学校生活が分かる貴重な資料と判明し、今年8月の川口市の平和展で初めて公開されました。

芝小学校長は「学校日誌は現在なら5年過ぎると破棄する決まりで、これを残してくれた歴代の先輩たちの思いを大切に受け継ぎたい」と話しており、今の平和な世の中に感謝し生活をしなければならないと強く思われました。

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